人に音楽を教えるとは

私は人に音楽を教えるという仕事をしている身でありながら、人に音楽を教える事はできないと思っています。人の持つ音楽とは、その人自身だけが既に持っているものだからです。

例えば、Aさんという方が、私に音楽を教えてほしいと体験レッスンを依頼してきたとします。

普段から、Aさんが「良い」と思っている音楽、Aさんが「表現したい」と思っている音楽はAさんにしかわからないのであり、当然私が強制するものではありません。

従って私がAさんに対して行うレッスンは、音楽を教えるのではなく、

「Aさんが表現したい何かを具体的に一緒に見つけ出し、夢中になって音で楽しく遊ぶ手助けをする」ということになり、その役割を平たくいうと「音楽講師」となると私は思うのです。

ここで私の役割はいくつかありますが、そのひとつには「進むべき方向を照らす。」というものがあります。

例えば、東京から大阪まで歩いて行こうという人がいたとしたら、その人がちゃんと西に向かって進むように道案内をするイメージです。歩くのはもちろん本人です。

大阪に行くのに東に向かって歩いていたら、「そっちじゃないよ、こっちですよ!」と導いて、夜だったら足元を照らしたり、歩いて大阪まで行くのに、革靴やサンダルを履いていたら、「あっ、スニーカーの方が歩きやすいですよ。」とアドバイスするように音楽の話をするのです。

ピアノを弾く人で、音が綺麗に出ないと悩んでいる場合は、こういう音を出すには、こういうトレーニングが良いとか、指の運びはこうすると楽になる、とか。

シンセサイザーを即興で演奏したい人だったら、こうすると良いグルーヴが出るとか、耳を使ったプレイを上達させるにはこうやって耳を鍛える、などです。

さらに重要なのは自分の才能に気づかせて、そこを伸ばしていくことです。色々な人に音楽の話をしていると、皆それぞれ得意なことが違い、レッスンはいつも私自身も興味深く、生徒から教わることも多いのです。

よって音楽を教えるというよりも、音楽の世界を共有していく感覚に近いと思ってください。

最初からすごくいい耳を持っていたり、ピアノ以外の色々な楽器を演奏できたり、理解のスピードが半端なかったり、音楽以外の芸術や映画に詳しかったり、映像の作り方に詳しいとか、生徒の皆さんは、得意なものや強みを最初から全部教えてくれるのではありませんが、誰でも必ず何か得意なものを持っています。

授業を進めていくうちに、その人独自の得意分野が見えてくるので、そこを逃さず捕まえて徹底的に伸ばして磨きをかけるのです。

そうやって音楽的に進む方向の道標となり、足元を照らしていくというのが、私の役割であって、音楽講師が音楽を教えることはできないとはそういう訳なのです。もう一度言いますが、音楽はその人自身の中に既にあるのです。