シンセサイザーは何でも自由で何でも可能?

Tom Oberheim SEMというシンセサイザーです
Tom Oberheim SEMというシンセサイザーです

シンセサイザーにはいろんな演奏方法があり、それこそ自由に演奏して良いわけです。では自由に演奏することとは何でしょう。

これを人生における自由な生き方に置き換えて考えてみます。そもそも日本は割と自由な国なので、自由に生きて罰せられることもありません。

「じゃあ、自由にやりなさい。好きなように生きなさい。」と言われたら、どうなるでしょう。ああしろ、こうしろ、学校に行け、勉強しろと言われるようりも難しい生き方になるはずです。

子供心としては1日中ゲームで遊んでいたいわけですが、そのゲームも誰かが頑張って作った成果物であり、座っている椅子も、使ってるコップも誰かが作ってそこにあるわけですね。

それを誰かが教えてあげないと、自分の生活が誰かに支えられていることがわからず、自分はこれをやるんだ!と情熱を燃やすこともないのではないでしょうか。

それを教わるのが学校だったり、働くことだったり、旅だったり、書物だったりするのです。

音楽も人生と似たようなプロセスを経て成長していくと私は思います。

シンセサイザーほど自由度の高い楽器を手にすると、それこそ何でも出来るような錯覚に陥ります。しかも出てくる音は、それまでに聴いたこともない凄まじく奇妙なものであり、この音を使って、あれをしようこれをしようと、夢が広がる素晴らしい世界です。

普通の音楽であれば、楽譜があったり、コードがあったり、小節が決まっていたりしますが、シンセサイザーの世界では、これらをすべて無視しても成り立つところにも大きな魅力があります。

KORGのアナログドラムマシンVolcabeats
KORGのアナログドラムマシンVolcabeats

それでも、ただ音を鳴らして魅力的な音楽になるかというと、もちろんそんな筈はなく、そこは人生と同じで、自由な音楽ほど楽譜のある音楽よりも難しくなるのです。

どの世界でも同じであると思うのですが、実のところ「何でも可能」は「何にもできない」のと同じです。

むしろ

「これしかできない」

という方が可能性が広がるということが実際にはよくあるのです。

シンセサイザーの場合は、電子音楽の文化がゲームと共にあったことも重要です。

先日ゲーム音楽の本を読んでいたら、8bitという制限の中で、魅力ある音楽を作らなければならなかった、という記述がありました。

 

これは、ある程度ルールや制限がないと、本当に良いものはできないという好例です。

冷静に考えると、ゲーム音楽というのはクラシックに匹敵する物凄い分野だと思います。皆がこぞって熱狂し、夢中になって遊ぶBGMとしていつまでも耳に残り続けるものだからです。

音楽大学では、ゲーム音楽を作るために入学してくる人もいるのです。