とにかく楽器が好き

ソフトで音楽を制作するのはもはや常識でありますが、ソフトだと音は良いのですが、「楽器」がバーチャルなため、この「楽器を弾く」という欲求を満たすことができません。

楽器を弾くというのは、目の前に楽器や機材があって、楽器には匂いと存在感があり、それを手にとって触って弾いて、電子楽器ならば、電源を入れて、ボタンを押したり、つまみを回したりするワケです。

楽器は弾いていない時にも頼もしい大切な友として家の中で静かにどっしりと待っています。

私は子どもの頃から「楽器」が大好きです。小学校の音楽室の匂い、シンバルの金属の匂いが好きで、特にアコーディオンに至っては、毎日、道端に落ちているワンカップ大関の蓋を拾い集めて、自分でアコーディオンの蛇腹を作って遊んでいたほど好きでした。


家の中では、タンバリンを割り箸で叩いて、雑誌や段ボールを積み上げてドラムセットも作りました。シンバルはボール紙を丸く切って、叩いた時の揺れ具合も調節しました。何時間もそれで遊び、食事が終わると、待ちきれずワンカップ・アコーディオンや自作ドラムセットでいつまでも遊んでいるほど好きだったのです。
Buchlaの5stepシーケンサー
Buchlaの5stepシーケンサー

シーケンサーをいじり始めたのも小学生でした。シーケンサーは本当に凄い凄い!と言っては触り続け、初めて自分で打ち込んだシーケンスはYMOのBehind The Maskです。

シーケンサーは今でも大好きで、打楽器に触るのも大好きで、好きが高じて打楽器で遊ぶ時間と、読書の時間を両立するために、システムを作り上げ、1日中でもこのシステムの前に座っていられるようになっています。

メトロノームと打楽器と読書の3点セット
メトロノームと打楽器と読書の3点セット

メトロノームも大好きです。はっきり言って友人です。メトロノームだけで5個持ってます。

そして、最近そのような生活の中で気づいたことがあります。それは

子どものように遊ぶことの重要性です。

「子どものように遊ぶ」というのは、「有名になる」とか「世の中を驚かせる」といったエゴが一切ない状態を指します。とにかくやってみる。試してみる。

形にならなくても、曲にならなくても、メチャクチャでも、無意味でも、とにかく「やる

楽器に触る、電子楽器の電源を入れる、ボタンを押す、つまみを回す、たったそれだけです。それが子どものように遊ぶということであり、それがなぜ重要かというと、それに意味があるとかないとかではなく、それがとっても楽しいから、その時間がとっても幸せで、毎日それを続けられる日々が有難いからです。